「扇風機発祥の地」のメモリアルモニュメントがお目見え
この度、大阪市城東区今福の松下エコシステムズ跡地にあるマンション、タイムズ・ピース・スクエアに、「扇風機発祥の地」をうたうメモリアルモニュメント=写真=がお目見えし、4月21日にMID都市開発株式会社の主催で除幕式が行われた。式にはMID都市開発の砂原会長、山本社長のほか、松下エコシステムズから平田社長と寺井常務が、当社施設管財グループから荘グループマネージャーならびに二星審議役が出席した。
このモニュメントは、松下エコシステムズの前身である川北電気企業社が1913年(大正2)に国産初の交流式扇風機として世に送り出した「タイフーン」の写真とともに、平田社長直筆の「扇風機発祥の地」の揮毫を掲げ、「この地は、およそ一世紀にわたり累計一億台以上の扇風機を生産した工場の跡地です」との解説が、年表とともに添えられている。
川北電気は1909年(明治42)の創業。「タイフーン」を発売して数年後の1915年(大正4)、この地に工場を建設し、扇風機の本格的な生産に乗り出した。ここで思い起こされるのが、創業前、改良ソケットの販売がどうにもならず窮地に陥った、松下幸之助創業者をめぐるエピソードである。これを『松下電器五十年の略史』は次のように伝える。
「こんなときに、思いがけない幸運が舞い込んできた。12月に入って、市内の問屋から扇風機の碍盤(がいばん:スイッチを取り付ける絶縁体)1000枚の引き合いがきたのである。当時は扇風機の国産化が始まったばかりのときであったが、メーカーの川北電気が碍盤を陶器から練物に切り換えるために見本注文を出したのが、幸之助のところへ回ってきたのである。これは、金型さえ作れば、あとは型押しをするだけで資金もあまりいらず、結果がよければ、引き続いて注文を出すという話もあった。大喜びでこの注文を引き受けた幸之助は、妻と義弟に手伝わせて昼夜兼行で作業を続けて年内に碍盤1000枚を納品、代金160円を受けとり、80円の利益を上げることができた。続いて、翌大正7年の正月早々に、第2回目として2000枚の注文が入り、幸之助はソケットの失敗から立ち直ることができた」 当社は本年創業90周年を迎えたが、創業者が1918年(大正7)3月7日に松下電気器具製作所を設立できた背景には、こうした川北電気との縁があったのである。
その後、川北電気は、1956年(昭和31)に大阪電気精器として松下グループに加わり、1962年(昭和37)には松下精工に改称。そして2003年(平成15)には事業ドメイン制の導入に伴って、現在の松下エコシステムズとなった。今福の工場は2005年(平成17)に閉鎖されたが、それまで途切れることなく扇風機が生産された。(恵崎政裕)
松下エコシステムズ(株)は平成20年パナソニックエコシステムズ(株)に社名変更しています。
|